生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

羽目の外し方⑧

鬱野たちとの会合がお開きになり、「ではまた」と挨拶して吉祥寺駅エスカレーターを登りながら私は全員のSNSアカウントをブロックした。今日会った誰とも、それ以降連絡を取ることはなかった。

いま私は地元の街を歩いている。街を歩いていると、われわれがやがて死んでいくように街もまた死ぬ可能性があると思う。建物が建設されたり、壊されたり、道路が整備されたり、災害で地割れが起きたり。建物が建つのは人為的要因で、地震が起きるのは自然的要因だが、そういったさまざまな複合的な力によって街は形を変える。昨日酒を飲み過ぎたから頭が痛い、というとき、酒を飲み過ぎたのは私のせいだが、頭が痛むのは、脳内の血管が膨張してるだとか、私にはコントロール不能なことが要因だ。権力者がたった一人ではデモを鎮圧できないように、私も私の身体を制御しきれない。そういった意味で、私は「一人」ではないのかもしれない。街が、複合的要因によって成り立つように、細胞も一人一人存在していて、ただ私の自我がその代表者、市長のようなものに過ぎないのかもしれない。テナントが入れ替わるように、細胞は新陳代謝する。

公園に遊具がある。遊園地のコーヒーカップに似ていて、乗って回転させることができる。木々がある。木々は植えられたものなのだろうけど、何年生きているのだろうか。私のこの問いかけは意味のない、感傷に過ぎないだろう。本当にこの公園の木がいつ植えられたものなのかを、文献を漁って調べたりなどしないのだから。私がいま何を語っているのか。それは、人と人との関わり合いについて語ることをやめ、他のことを語ろうとしているのだ。しかし、公園の遊具だとか、木だとか、そういったものを語ろうとしても結局、自分が「人付き合いを諦めて一人で生きようとしている」その事実を黙説法的に示唆していることにしかならない。

私の悩みとかそういうことが一番つまらないと昔誰かに言われた。それを言ったのは田島くんだったかもしれない。田島くんは誰よりも遊戯王カードを持っていて、教師の息子だった。金持ちの祖母に小遣いをもらって、昔は大人しいオタクっぽいやつだったのに、どんどんチャラ男になっていった。私にはショックだった。しかし、小学校のとき埋めたタイムカプセルを開ける式典のときのことだ。10年ぶりくらいにあった田島くんが、脱色してズタズタに傷んだ長髪に、上下ジャージというスタイルで現れ、体育館のピアノの前に座り、美しい伴奏を弾き始めたとき、私は彼の中で律動する響きに感動せずにはいられなかった。われわれは、形のあるものによって、形のないものを作り、形のないものが、われわれ同士の間を伝わる。金髪のチャラ男という形のあるものは、そんな形であることなどお構いなしに、美しい音楽を奏でる。音楽には形がない。愛にも形がない。そういうなんだかわけのわからないもののために、肉体は使ったり使われたりする。

私の言ってることは伝わっているだろうか。伝わりはするが、面白くはない。そういった意見もあるかもしれない。文学史を遡ると、作者が作中に顔を出すのはそう珍しいことではない。それはさておき、私は何か変化を求めていたわけだが、鬱野と出会うことで何かが変わったかというと、何も変わらなかった。私が変わるために必要なのは、他者ではない。もしかしたら、私に必要なのは変化ではないのかもしれない。それでは、ここでこの話は終わります。さようなら。

羽目の外し方⑦

春先といえども夜になると冷え込みも強くなり、外で立ち話を続けるのもなかなかつらくなってきた。「どこか移動する?」と鬱野が提案するが、エクスタの「そうですねぇ」という、一見肯定のようだが実は肯定でも否定でもない返答以外は、誰も何も言わなかった。私は正直に寒いと言った。ときどき、会話の輪の活性化には一切参与しないが自分の欲望だけは表明する人というものを、一定の集団において観測することがあるが、今の私がそれだった。

告訴ちゃんが月宮に小声で何かを伝えている。おそらく告訴ちゃんはストレートな要望の表明をしているが、それは集団において発せられるには相応しくないのだろう(たぶん「もう帰りたい」とかだ、どうせ)。月宮が駄々っ子を宥めるような表情で応対している。何往復か小声でやりとりがあり、意見がまとまると月宮が発表した。

「僕らちょっと寄りたいお店があるんで、この辺で失礼します」

月宮の様子を見ながら私は、政治家の空疎な放言をまとめて形にする官僚のようだと思った。この比喩は百点中何点だろう。

鬱野、鳥居、エクスタ、私で、白木屋に移動した。さほどテンションは上がらない。

「じゃあ、これ、何に乾杯だ?わかんないな。おつかれーっす」と鬱野が言って、我々はビールのグラスを接触させあった。告訴ちゃんと月宮が離脱したことは少なからず我々のモチベーションに影響を及ぼしているようだ。鬱野は「いやー水草さんほんとね、こんなボンクラの集まりに来てくれて……」と心にもないことを言って無理して会を盛り上げようとしている。なんだか申し訳ないような気になったので私も盛り上げようと「ボンクラって響きがまたいいですよねー」と適当なことを言ってしまう。みんなが反応に困っている。私は失態を取り戻そうと「鳥居さんはさっき公園にいたときとか、いまとか、どんなことを考えているんですか?」と今度は心から思っていることを言った。しかしこれは逆にクリティカルすぎた。鳥居の顔がみるみるうちにこわばっていく。一瞬、鳥居以外の三人で「これ、大丈夫か?」と顔を見合わせる。こういうときは一般に、「実際よりも時間の経過がはるかに長く感じられた」などと表現することがままある。しかし、ここではさほど間もおかずに

「告訴ちゃんと付き合いてえー」

と絞り出すような声を出して鳥居は項垂れた。

一同が急に沸き立った。鬱野は冗談まじりに鳥居の肩を強く抱き、エクスタは「わかるよ」と言わんばかりにうんうんと頷いていた。私は「告訴ちゃんってそんなにかわいいか?」と思っていたが、みんなが盛り上がっていることに何よりホッとしたので、水を差すようなことは言わず、嘘じゃない笑顔を浮かべていた。「告訴ちゃんそんなにかわいくない説」を唱えることは、ここでは「常に世論に対して逆張りすることで知性をアピールするフェイク言論人」に堕すことにも似ていた。しかしそんな私の考えを読み取ったかのように鳥居は

「告訴ちゃんはね、顔だけで考えたらすごいかわいいとかじゃないですよ。それくらいはわかってます僕も。ただ僕はあの性格悪そうな感じがたまらなく好きなんです」

「実際悪いよな」

「そう、それで月宮と付き合ってるじゃないですか。月宮と付き合うなんてめちゃくちゃセンスないですよ、はっきり言って。月宮は告訴ちゃんに振り回されたりしないですからね。適切にコントロールしてますから、アイツが告訴ちゃんを。ふつうに他の女とも遊んでるし。俺ならもっと告訴ちゃんを満足させられますよ。めちゃめちゃに振り回されて泣き言いう役なら負けませんよ。そういう情けない俺みたいなやつが周りに何人もいてはじめて告訴ちゃんは輝くんじゃないですか」

「何人もいていいんですか?」

「いいんですよ、逆に興奮します」

「鳥居はエモの人だな」

「僕は至って冷静ですよ。ロジックの人です」

鳥居は「告訴ちゃんに捧げる詩」を朗読するなど、なかなかに場を暖めてくれた。彼は自分の興味関心のある話題になると生き生きとできるタイプのようだった。そして、めずらしいことに、それが面白い。そのため、「自己主張が強い」という印象を与えないことに成功していた。自分自身をコンテンツ化することに長けているのだ。私は鳥居とは違う。どういう場にいてもモブとしてしか機能しない。私は……。なんだか落ち込んできた。

羽目の外し方⑥

鬱野を含めた4人が私に注目した。上裸で叫んでいた男はすぐに観客が一人もいなくなったことに気づくと、開いていた大股を閉じ、やけにシュッとした姿勢になってこちらに近寄ってきた。シュッとしつつ、上裸だった。

「こちら、水草さんって言って、なんていえばいいんだろう……?」

そう言って鬱野は半笑いで私の顔を見た。私の肩書をどうするか、という話だろう。私自身も私がなんなのかわからなかった。

「無職、でいいですかね?」

と、鬱野は笑った。

「いいですよ」

私も笑った。私には無職以外の属性はないのだ。表面上全く気にしていないように装ってみたが、プライドは傷ついた。

まず、騒いでいた上裸が鳥居。大学を一留して5年生らしい。叫ぶのをやめてから一言も喋らない。眉毛が太く意思の強そうな顔をしている。今はそそくさと服を着ている。服を着ないと、終戦間際の日本兵みたいにかわいそうなくらいガリガリだ。

ギャラリーの4人の中の紅一点が告訴ちゃんだ。告訴ちゃんはSNSでも顔の一部をスタンプで隠した自撮りなどで人気を博しているらしい。丸顔で垂れ目で小柄なところが庇護欲をそそるのだろうか。着てる服が絶妙にダサい。

告訴ちゃんの隣にいるのが月宮だ。本名ではないらしい。告訴ちゃんの彼氏で、SEをやりながら、音楽をやったり、ブログを書いたりしている。ブログの広告費でけっこう稼いでいる。髪の毛先を常にいじっている。

鳥居もなかなか不気味だが、さらに不気味なのがエクスタと名乗る太った男で、たぶん100キロくらいあるのだろう。100キロくらいありそうなのに、髪が長い。特にもみあげと襟足が長い。プロレスラーみたいな髪型だ。前髪で目元が隠れている。癖っ毛。ちょっとテカテカしている。太っているなら清潔感は大事にしてほしいと私は思うが、こういう意見はポリティカル・コレクトネス的に問題がある可能性もあるので、なんとも言えない。しかし、爽やかとは言い難い風貌だ。服も、よくわからないダボダボの真っ黒な布みたいなものを纏っている。ヨウジヤマモトだったりするのだろうか。現在は主にニートをやっているらしいが、話しぶりは一番腰が低く、丁寧だ。

「鬱野さんとはどういった経緯で知り合ったんですか?」

SNSで、どちらからともなく……フォローしたって感じですね」

私は答えた。

「そうなんですね。僕も鬱野さんとはSNSで知り合いました。ちょっと怖い人だと思ってたんですけど、いい人ですよね」

エクスタは鬱野の方を向いて「昔の鬱野さんほんと怖かったんですよね。よくネットで喧嘩してたし」と微笑んだ。

「エクと会う頃はだいぶ落ち着いてたよ」

水草さんは童貞なんですかー?」急に告訴ちゃんが無垢な少女を装ったかのような媚びた口ぶりで話しかけてきた。

「いや、童貞では、ない」

とっさのことに返事がカタコトになってしまった。

「めちゃめちゃ童貞の返しじゃないすか!」

と鬱野が突っ込んでくる。

「告訴ちゃんは月宮とは会うまでは超ヤリマンだったんですよ」

「おいやめろよ」

月宮が嫌そうな顔をする。

「いやだってそうじゃん」

「そうだけど」

「いや、そうだけどじゃねーよ!」

告訴ちゃんが月宮の肩を殴る。私は一連のやりとりに寒気を覚え、彼らを直視できなくなる。泳いだ視線が鳥居のそれとぶつかる。彼と私には何か通じるものがあるようだ。わかっている。こういった茶番劇を適当に乗りこなすのが社会性というものであり、いちいちそのくだらなさに過敏に反応する方が、コミュニケーション能力の低さを物語ってしまっている。無職でいかなるコミュニティにも属していなかった私にとって、この場は非常に重要な足がかりである。スカしてばかりいられない。

羽目の外し方⑤

久しぶりにいい気分になって終電で家に帰っていると、鬱野からスマートフォンにメッセージが来ていた。なんらかのwebページへのリンクだった。開くと、カップルと思しき高校生くらいの男女が、学校で行為に及んでいる動画だった。なんの説明もなくそのリンクだけ送ってくるあたり、マイペースなやつだなと思った。しかし、向こうは好意で送ってくれたわけだし、無碍にはしたくないので、義理で「最高ですね」と送ってみたが、そこから一週間近くなんの音沙汰もなくなった。

私は近所を散歩したり、本屋で立ち読みしたり、TSUTAYAでDVDを借りたり、ブログを書いたりしながら、そのどれもにどことなくつまらないなあという思いを抱きつつ日々を過ごしていた。私がそういえば見たことなかったなと思い『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を借りて家に帰る途中、鬱野からメッセージが来た。「花見しませんか?」

「いつですか?」

「いまからです」

私は井の頭公園に向かった。

吉祥寺駅の南口を出てまっすぐ歩いていると、次第に若者の咆哮や、歓声が耳に入るようになってきた。もうとっくに日は暮れていた。あんまり騒いでると警察来るよ、と謎の老婆心が浮かび上がってきた。

公園に入ると、お情け程度に、座ってボヨンボヨン前後に揺れる遊具やブランコなどがある、少し広い空間に出た。井の頭公園は池をぐるっと囲う形で土地が展開されている。池は一周するのに10分くらいはかかるので、かなり広い公園だ。若者がたいした動機もなく集まるにはこの上なく適している。

一人の男が叫びながら木と木の間を高速で駆けたり停止したりしている。上半身は裸で細身の体が目立つ。叫びの内容に耳を傾けると「どうすればいいんだよ俺は!」「国家レベルの陰謀なんじゃないか?」と頭のおかしいような、その演技なのかわからないが、とにかくよくわからないことを言っていた。あまり関わりたくないな、と思いながら横を通り抜けた。遠巻きに男を見ている人が4人ほどいた。彼らは笑っていたので、どうやらそういう「催し」であって、本当に狂っているわけではないようだ。よく見ると4人のうちの一人は鬱野だった。つまりこの男を含めた5人が花見のメンバーというわけである。座る用のシートもなく、もう暗くてろくに花も見えない、何のための集いなのかよくわからないものに自分も加担するのかと思うと緊張した。

「鬱野さん、鬱野さん」

鬱野は一瞬「誰?」という顔をしてからすぐに合点がいったようで、

「おーーーう!水草さん!」

と大声を出して抱きついてきた。酒臭い。

羽目の外し方④

鬱野と私の間で交わされた会話をこれから書いていきたいのだが、鬱野が私の名を呼ぶところをどう表現しようか迷っている。というのも、私は、なにか固有名を持つ存在ではなく、「私」なのだと思っているからだ。他にも命名によって人物像がブレてしまうといった要因もある。鬱野は、自ら「鬱野」と名乗っているので、そこに私の力学は一切働いていない。しかし私が仮に「高橋」を名乗ったら読者は、「『高橋』という名字の人」として私の人物像を再構成してしまう。もしかすると人によっては過去に「高橋」という名の人物にひどい目に遭わされたことがあるかもしれない。すると私の印象がその「高橋」に引っ張られてしまう。読者にはなるべく私を無色透明な存在として捉えてほしいのだ。しかし、そんなことにこだわるのはいささか面倒でもあるので言ってしまうが、鬱野のいう「水草さん」というのは私のことである。

「いつもここでバイトしてるんですか?」と私は鬱野に会話の糸口を差し出した。

「いつもってわけじゃないです。暇なときに店番任されるって感じで。青田さん——っていうのがここ経営してる人なんですけど——青田さんも半分遊びで経営してるんで、毎日やってるわけじゃないんです。青田さんは本業は人材派遣の会社やってる人でちょっと変わってるんですよね。ライブハウスとかもやってたり」

「そのライブハウスで知り合ったんですか?」

「あー、そうなんですよ。もともと僕がVOLT(鬱野のバンド)入った直後くらいかな?佐伯さん——あの西村ツチカとか載ってる同人誌にも漫画描いたりしてる人なんですけど——佐伯さんに誘われてライブハウス——新宿のレガってとこなんですど——そこよく遊び行くようになって、いやここだけの話、青田さんが草くれたりするんですよ、草ってマリファナですつまり。僕髪長いから青田さんに初めて会ったときに『ビートルズ好き?』って訊かれて、『最高です』って答えたらわけてくれたんですよ。あ、そのときはまだベンジョンズの頃だったかな?あ、ベンジョンズってのは僕が前やってたバンドなんですけど、そのボーカルがいまあのLil Boy Sadって言って。知ってます?水草さん(私)あんまラップ聴かないかー。めっちゃ売れてきてるんですけど」

鬱野が矢継ぎ早に喋り出して私はうんざりしてきた。すると鬱野はそれを察知したのか「すみません、僕ばっか喋っちゃって。よく言われるんですよ。バーの店員なのに客より喋るって。直したいんですけどねー」

「いや、全然気にしないでください」

「ありがとうございます。いやー水草さん会えて嬉しいなー。いっつもマジでレベル低い奴らとしか絡んでないんで新鮮ですよ。これ別に媚びてるわけじゃないですよ。本当うんざりしてるんです。ここにいる前野(鬱野の後輩)なんかはちゃんと音楽も聴くし本も読むし映画も観るタイプですけど、マジでいっしょにバンドやってる奴ら音楽知らないですよ」

「ストレス溜まりそうですね」

「マジ溜まりまくりで。あとあいつら金の計算できないんですよね。バンドとかグッズも作ってるけどクソ赤字なんですよ。僕個人で出してるTシャツとかの方がよっぽど金になりますよ。あー、ダメだまた自分語りしてる。水草さん関係ないのに愚痴言ってすみません」

鬱野は、ベラベラと調子良く喋った後に、喋りすぎたことや喋った内容について激しく後悔し、かと思うとまたすぐにそれを忘れてしまうのか、調子良く喋り始めるといったことを終始繰り返していた。その自分で自分を制御しきれない感じにはどこか憎めないところがあるとわかってきた。また、よくいる「自分の話がしたいだけ」のやつともまた違い、私についても興味を抱いているようであった。鬱野はカウンセラーのように私の内面を探ってきた。

水草さんってけっこうやりたいこととかあるタイプの人だと思うんですけど、いまいちそれが見えてこないんですよね。そこすごく——こういう言い方したら偉そうかもしれないですけど——もったいないなーって思います」

「そうですかねえ」鬱野の言っていることは的を射ていた。

「なにがやりたいんですか?」

「なんだろう。うーん。動画とか作りたいかな?」

「いいっすね!やりましょう」

「やっぱりいま若者がなにを楽しんでいるかって考えると、YouTubeってのが一つあると思うんですよ。本も読まれないし、映画も観られないし」

「すごいっすね。僕全く同じこと考えてました」

「うん。かと言っていま活躍してるYouTuberが本当に面白い動画を作ることができてるのか?って考えると、まだ余地が残されてると思うんです」

いつのまにか私も鬱野のように熱心に語るようになっていた。

ちなみに私が語っている内容は、本当にいつも考えていることだった。いま、たとえば小説を書いたり、音楽を作ったりしても、そこに興味を持ってくれる人はほとんどいない。だとしたらYouTubeで目立つことによって、私個人にまず興味を持ってもらい、そこから私の作る別のコンテンツを楽しんでもらってもいいのではと考えていた。私にもそういうどこか青臭い発想がまだ残っていて、そのことは鬱野も肯定的に受け入れてくれた。

羽目の外し方③

鬱野というのは本名ではないだろう。わからない。全国にはそういう名前の人もいるかもしれない。どうでもいいか。彼のことはTwitter上でしかしらない。私は、世の大体のことはTwitter上でしかしらない。鬱野は三島由紀夫寺山修司が好きで、はっぴいえんどやジミヘンが好きで、水木しげるの漫画が好きで、漫画を描いたりバンドをやったりしているようだった。Twitterにも漫画を載せていて、社会にうまく馴染めないことの苦しみをおもしろおかしく描いたりしていた。だが私は、彼の漫画における「社会に馴染めない描写」は、ある程度「キャラ」つまりは演じられたものでしかないと予想している。服用している薬についてや、自分がいかに「社会不適合者」(鬱野はこの言葉を好んで用いた)であるかを語るとき、その口ぶりがどうにも嬉しそうに見えてならなかったからだ。もちろん、たとえ演技だとしても、本人自身それに気づいていない可能性もあるし、揶揄できるようなことでもないのだが。面白そうな人ではあるが、いまいち信用できなくはあった。

Twitterでのフォロワーは私の5倍以上はあり、先述の漫画がしばしばバズって(広く拡散されて)いる。バンド活動を通じて界隈では有名なアーティストととのつながりもあるらしく、つまりなにが言いたいかと言うと、私としては、Twitter上でのふるまいが少しダサいのではと思っている人なのだが、世間からの認知度や評判は私などよりはるかに高いということで、ややいけすかない存在であった。しかし私は私のルサンチマンをこのように正確に認識し、私自身を相対化することができたので、鬱野が私の「上」にいる存在だと認めようじゃないか。「どうぞ『上座』にお座りください」と自ら席を譲ることで、私自身の度量の広さを示せるというものだ。

こんなことばかり言っていてもどうにもならない。話を先に進めよう。

連絡が来たのは17時くらいだったが、あまり早く店に行って暇だと思われるのも癪だったので、19時に西荻窪に着いたのち1時間半ほどマクドナルドで読書をし、向かった。

酔客のガヤガヤとうるさい裏路地を進み、何度も行ったり来たり店名を人に訊ねたりしてようやく、「きりぎりすはこちら」という看板を見つけた。矢印の先は地下へと向かう階段だった。階段は薄暗く物音一つしなかった。

重い木の扉を開けると、橙色の弱く柔らかな光に包まれた。明るくはなかったが、人の顔を判別できる程度ではあった。客は1人いて、店の広さ的にまだ余裕はあったが、10人も入ったら寿司詰だろう。こじんまりとした年季の入った店だった。客は店員と談笑しており、おそらく彼が鬱野だ。長髪を後ろで一本に束ねている。しかし前髪はある。このタイプの髪の括り方をなんというのかしらない。予想より細身で背が高い。くたびれたTシャツから細すぎる腕が覗いている。肉を食い尽くされたフライドチキンの骨みたいだ。目線を上げたときに私の存在に気づいた。

「ああー!どうもどうも」と鬱野は目を丸くし大袈裟に身をのけぞってみせた。「すみません突然急に、ずっと会いたかったんですよ」

「いえいえ、こちらこそ。声かけていただいて」

ネット上での陰鬱さが嘘のように、空々しいほど爽やかな挨拶が始まった。もちろん私には招待されて嬉しいという気持ちが確かにあった。しかし鬱野はどうなのか。「ずっと会いたかった」はさすがに盛りすぎだろう。

鬱野は既にいた客の方を見て私を紹介した。「鬱野がTwitterで知り合った人」という情報以上のものはなにも提示されなかった。それはそうだ。私だって私を紹介する言葉など持っていない。無職であることくらいか。客は、客というか、鬱野の後輩だという。大学で同じバンドサークルに入っていたそうだ。後輩は眼鏡をかけており、どちらかと言えば尖っているタイプの鬱野と比べて、身も心も丸く穏やかなように見えた。

鬱野がなににするか訊いてきたが、特になにを飲みたいというわけでもなかったので、ビールを頼んだ。鬱野は、全身に脱力感が漲っている人だった。語義矛盾のようだが、そうとしか表現できない。棚からグラスを手に取る所作など、一つ一つが「慣れた手付き」で「軽々と」行われていますよ、という主張をしているように見えた。最もそれは私の意地悪すぎる目線の産物かもしれないが。

羽目の外し方②

目覚まし時計のいらない日々が始まった。「今日から無職です」と試しにTwitterでつぶやいてみたが、さほど反応はない。同年代の人々は、多くが学生や社会人として、自分のやるべきことに取り組んでいるからだ。試しに街を出歩いてみる。近所の公園では、ビビッドな色の帽子を被り、水色のスモックを着た保育園か幼稚園の子どもたちが、20人くらい、小鳥みたいにはしゃぎまわっている。私は25歳で、これくらいの子どもがいてもおかしくない。それにもかかわらず、実家で親の世話になりながら、無職として暮らしている。子どものことを考えてもいいのに、大人にすらなれていない。後ろめたい気持ちが生まれそうになるが、まだ無職1日目であることだし、心の健康を考えて深く考えないことにした。

電車に乗ってシネコンへ向かった。平日の空いた映画館で映画を観るのは、仕事をしていたときからの夢だった。男女が寝るシーンを観ながら、もう長いことこういうことをしていない、たぶん2年くらいしていない、と思った。性行為とは、どのようなものであったか、記憶を取り戻そうと躍起になっているうちに、画面上ではマフィアが喫茶店のドアを蹴破り激しい銃撃戦が始まった。そのうるさい音を聴いた瞬間「いまセックスのことを考えてる場合じゃない!」と我に帰った。これが私の映画の見方だ。

シネコンを出て、奥様方がランチをしている様子を横目で見ながら、ショッピングモール内をスマートフォン片手に闊歩した。ランチ奥様を見ることとスマホを見ることを同時に行うことができるのか?という疑問が読者の脳裏に浮かんだかもしれない。歩きスマホという行為の名称が2018年である現在、浸透しきって久しい。しかし、歩きスマホという行為は、「普通に歩くよりは視界が狭められて危険」であることに間違いないが、「視界が全てスマホ画面になっている」わけではない。そのところをよくわかってない老人などが、「歩きスマホは危険!」という義憤に駆られてわざとぶつかってくることもあると聞く。彼らは自己の行為を「啓蒙」と捉えているのかもしれないが、要するに彼らは自分と違うことをやっている人、自分にはできないことをやっている人が嫌いなだけである。しかもスマホというものは「便利」であるらしく、それを使えないことで「世間」から「置いてかれる」という危惧もあるため、ますますルサンチマンが増幅するだろう。私にもその気持ちはわかる。

私は実業家や投資家などの資本家が嫌いで、彼らがよく「自分がいかにして成功したか」というエッセイだか自伝だかわからない書物を一定の出版社から刊行しているのを心底バカにしているのだが、彼らが私には想像もつかないような豊かな生活を送っていることには間違いない。高層ビルの最上階で夜景を観ながら立ちバックをしていることが推測される。立ちバックをしている途中に足腰が疲れてしまって「やっぱり普通にベッドやろうか」と言い出したいが、そこは資本家としてのプライドがあるので、「資本家たるもの、立ちバックの一つや二つ満足にこなせずしてどうする」と奮起するものの、その熱意から動きが激しくなりすぎて、太ももの筋肉をつり、相手もろとも床に倒れ込んでしまったりしているのだろう。このように妄想の中で資本家を過剰に愚かな存在として描いてしまうくらいなのだが、高層ビルの最上階で夜景を観ながら立ちバック、できるか、できないか、どちらの方がいいかを考えてみると、実際行動に移すかは別として、「その気になればいつだって高層ビルの最上階で夜景を観ながら立ちバックできる」そんな時間と金の余裕をもった人の方が豊かな気もする。

そう考えると、老人も、歩きスマホの人を攻撃するばかりでなく、実際にスマホをもってみるべきである。私も高層ビルの最上階で夜景を観ながら立ちバックできるだけの余裕を手に入れてから、再度、資本家批判を行いたいか、自分に問い質してみるべきなのだ。

話が脱線したが、歩きスマホをしている人は、思ったより周りが見えている。それが言いたかった。だから間違いなく奥様はランチを楽しんでいたし、私は歩きながらスマホを見ていた。TwitterにDMが来ていた。このDM(ダイレクト・メッセージ)を、Twitterを知らない老人や、未来の読者のために説明すると、みんながワイワイしている公共空間で、こっそりと二人だけの内緒話をするようなことと考えてくれていい。甘美だ。DMは鬱野という最近知り合った人からだった。

「暇だったら店来ませんか?」

鬱野は西荻窪で時々バーの店員をやっているらしかった。私は鬱野がどんな顔をしているのかも知らなかった。