生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

文章

 文章なんて書こうと思えばいくらでも書けるのだが、他人が読む価値のあるものを書けるのかと考えるとまた話は別になってくる。複数人で話をしているときにも同じことが言える。頭の中ではいろいろなことが飛び交っているのだが、「これはわざわざ口に出すべき事なのだろうか?」と考えているうちにその話題は終わる。

 大学のゼミなどに参加したことのある者にはわかると思うが、人は人の話を聞かない。自分の言ってることは半分くらいしか伝わらないし、人の言ってることも半分くらいしかわからない。だから本当に伝えたいことというのは、何度も強調する必要がある。実際の二倍くらい詳しく丁寧に話せば、その半分が伝わるため、「1×2×0.5=1」という感じで本来伝えたい「1」が相手に届く。理論の上ではそうだ。しかし、人はあまりにも一つのセンテンスが長くなると、そのセンテンスの頭からだんだんと忘れていってしまう。詳しく丁寧に話した結果、言葉の分量が多くなりすぎて、脳の処理が追いつかなくなる。結局どんなに工夫しても話っていうのはあまり伝わらないのだ。

 ここまで書いたが別に真新しいことは何もないため、もう飽きている人が多いと思う。こんなふうに読者の顔色をうかがってしまうのは、怖いからだ。「つまらない」とか「バカ」とか思われるのはいやだ。でも、告白すると僕だって人と喋りながら「この人、今の発言面白いと思って言ったんだろうけど、別に面白くないな。でもまあ笑っとくか」みたいなことはしょっちゅう考えている。僕だって面白いことなんかぜんぜん言えないのだから、そんなこと口に出す筋合いはない。というかそんなこと言ったら人間関係が終わる。

 でも頭の中は自由だ。だからこれを読んでる人が、いま、まさに、読みながら、

 

 あーぜんぜんおもんない。ぜんぜんおもんないよー。俺の貴重な時間無駄にせんといてー。なんでこんなわかりきったことわざわざ文字に起こしてんの。「人と人はわかりあえない」って一言で済むことに何行文字使ってんの。この文章が俺にどんな新しい知識をさずけてくれるっての。頭悪いのにかしこぶるなよあほ。おまえから教わることなんかねえよ。てか今時ブログってどうなん?そんなに自分というものを人に知らしめたいと思う普通?最近の一億総表現者時代みたいなのマジキモイよね。自分の内なる鬱屈を表出することがなんらかの価値をもつだろうと無根拠に信じてる人って恐ろしいわ。表現ていうか排泄でしょ、排泄物メニューに載せてるレストランどこにあるの。

 

 と思うことは自由。