生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

栗取物語(clitori story)・栗盗り合戦(clitori war)・強い気持ち・強い愛・強い栗・弱い栗・そんなの人の勝手。

Jinmenusagi(じんめんうさぎ)というラッパーのツイキャスを聞いていた。Jinmenusagiについてはかっこいいラッパーです。と言うだけにとどめて、いつも通り自分の話を書く。活字の良いところは好きな時に読むのをやめられるところだ。いまから書くような自分語りを口頭でしゃべりつづければ、聞かされたものはうんざりすることであろう。好きな時に読むのをやめてくれ。

タイピングに慣れていなくて、ここまで打ってだいぶ消耗してしまった。しかもこれからするのは自分語りだ。しょうもない。

話は戻るが、上記のツイキャスでJinmenusagiが「俺ももう23になるから~」ということを言っていて少しショックを受けたのだった。23。僕のいっこ上でしかない。

同世代の人間がもう社会に出て、社会における役割を見出している。俺はまだ何もしていない。何もできない。何もできる気がしない。

小学校のときの授業で「絵本をつくりましょう」というのがあって、まずは絵は抜きでストーリーだけ紙に書いたことがあった。あのとき、「こんなに楽しいことはないな」と思ったような気がする。だいぶ前の事だから正確な感情は表現できないが。

いまにして思えば「人と違っていてもそれが正解となり、しかも違えば違うほど評価される」ようなものが好きだったのだと考えられる。正攻法で目立つことができなかったからそういう思考に落ち着いたのだろうけど。もし足が速かったり、ドッヂボールが強かったり、絵が上手かったりすれば、そういう思考は生まれなかったのではなかろうか。

そういえば僕は小学生のとき賞状をもらったことがない。6年間小学生やってれば、だいたい何かしらのジャンルで賞状がもらえるような気がしていた。周りの友達はみな何らかの理由で表彰されていたような覚えがある。まあ小学生のころは自分の事を優秀な人間だと思い込んでいたので、賞状をもらうような人間にばかり目が向いていただけかもしれない。そして、なぜ自分はそこにいないのか。自分だって当然賞状をもらえるような人材だろ、と。

でも結果的にはこのザマである。なにもできない。僕は文章を書くのだけはそこそこ自信があるつもりだったけど、別にそうでもない。ここに書くようなことはだいたい自分語りだ。自分が好きで、自分の話をすることが好きなだけだ。自分以外のことは語れない。私情を抜きにして対象物についてのみ語ることのできるライターには頭が下がる(一昔前のタナソーみたいなのではなく)。架空の物語などは思いつかない。剣と魔法の物語など、書けば書く程それをつづる小汚い男の人生ばかりが気になってしまうだろう。

最近は小説も映画も漫画もアニメも頭に入ってこなくなってきた。紙面・スクリーン・ディスプレイから目を離せば辛い現実が待っている。無味乾燥で誰にとっても無意味な生がそこには続いている。僕は今大学生で、それなりにらくらくと毎日を生きている。でもこれは終わるのだ。四年間サザエさんを見ているような気分だ。僕は会社になんか行きたくない。でも親から白い目で見られたり毎日朝から晩までバイトするのも御免だ。お客様やクライアントの笑顔のために働くなんて嘘をつくのはやめてほしい。僕はそんなことで喜んだりはできない。

 何かしよう何かしようと思ってきたが何もしなかったのは、結局自分にやる気がなかったからなのだなあと思う。とりあえず就職活動をがんばろうかなというものすごく面白味のない着地点にたどりついた。