生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

やりたいことは、問いかけること、知ること

「フィクションの、つまりは誰かが考えた架空の人物が、生きたり、死んだり、泣いたり、笑ったりすることが、僕になんの関係があるんだ?」そんなことを考える。

「友達と酒を飲みながら会話をして、それでどうなる?疲れた体を翌日に持ち越してまたクソ面白くもない日々が始まるだけじゃないか?」そんなことも考える。

「これ、なんの意味があるんだ?」「これをしたところでどうなるっていうんだ?」

その思考の行き着く果てが「何をしても、何の意味もない」である。

しかし、何もかもを意味がないと切り捨てていくと、結局生きていることに意味がないことになる。だとすると死んだ方がいいのではないかという疑惑も出てくるが、一度死んだら生き返ることはできない。それに、いずれは死ぬのである。無理に時計の針を早める必要はない。

何かしら意味を見つける必要がある。僕は何がしたいのか?

実は、僕はすでにしたいことをしている。それは「問う」ことだ。この世のあらゆる謎に対してなぜ?と問いかけること。それが僕のやりたいことだ。

人とは、社会とは、世界とは、どのように構成されているのか。言語とは何か。芸術とは何か。美とは何か。面白いとはどういうことか。

唯一の真理にたどりつくことはないだろうが、その道のりを楽しんでいきたい。僕の場合は「言語」に頼る事になるだろう。そもそも不完全なものを頼りにするのだから、当然楽な道のりとは言えないはずだ。ときに腰を休めたくもなるだろう。

そのときは、何の意味があるともしれぬことに浸ってその身を癒そう。飲み会、ネット上でのなれ合い、買い物、食事、旅行。人生をどれだけ無駄遣いできるか。それが逆説的に人生の豊かさを証明することになるのかもしれない。