生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

ありきたりな話

    君は俺の話を聞く気がないし俺も君の話を聞く気がない。いやそうだろうか。君は今俺の話を聞かされている。可哀想に。じきに君は俺の話に飽きるだろう。もしくは俺が俺の話に飽きるのかもしれない。まあいい。続けよう。俺は絶対に君を楽しませたりはしない。なんで俺が君を楽しませなければいけないんだ。君はそれに見合う対価を支払ったのか。それで俺が精いっぱい楽しませようと努力すれば、その無様な姿を人に吹聴するんだろう。君は泥棒じゃないか。いや、泥棒ではない。俺が無償で飴をばらまいているだけだ。しかも毒入りの飴だ。そんな嫌がらせをして楽しもうと思っていた俺が悪いんだ。これは俺が悪かった。申し訳ない。ほんとは全部俺が悪いんだ。君が理解できないようなことをいう俺が悪い。俺は絶対的な悪なんだ。ただ他人に迷惑をかけるだけ。他人を嫌な気分にさせることが俺の仕事なのさ。そんな存在になってはいけないよ。俺は今呼びかけている。俺は今君に命令したんだ。それを君は無視する。俺の言うことが聞けないのか。聞けないならさっさとここを出て行けよ。出て行け。さあ出て行け。さあ。早くここからいなくなれ。さあ。さあ。

    おまえはさっきからいったい何をうわごとのように繰り返しているんだ。そこには誰もいない。ただ白い壁があるだけじゃないか。

    俺は怖いんだ。君が俺に飽きてしまうことが。本当は俺は君を楽しませなきゃいけないんだろう。だから俺は物語を聞かせなければならない。それはこんな話さ。

    男がいた。とても醜い男だった。物心ついたころには、人からそれを聞かされて、自分の醜さを自覚するようになった。醜い自分が人に話しかけると、嫌がられてしまう。だから人に話しかけてはいけないのだと男は悟った。男はいつも一人だった。

    話をしないから、男は孤独をますます深めていった。街で流行っている劇や、音楽の話は男にはできなかった。買い物のときに、店員と天気の話をすることはあっても、どこかぎこちない調子だった。運動をしない人間の体が丈夫にならないように、男はいつまでも会話ができないままだった。男は仕事もろくにできなかった。しかし親の遺した財産で暮らすことができた。もっとも娯楽を知らない男には金の使い方はよくわからなかった。

    ある日男が公園で鳩に餌をやっていると、自分より少し年下と思われる少女が話かけてきた。「あなたはいつもここで鳩に餌をやっていますね」男はああと答えた。「楽しいですか」男はああと答えた。

    少女は決して美しくはなかった。しかし、自らすすんで男に話しかけるような人間はこれまでに誰もいなかった。男は次の日も公園で鳩に餌をやった。また少女がやってきて話しかけた。どんな質問に対しても、男は短く賛同の意を発するのみだった。少女も、「はい」か「いいえ」で答えられないような難しい質問はしなかった。

    男の人生の中でも最も幸せな日々が始まった。少女が「あのアイスクリームを買ってくれる?」ときけば、ああと答えて買い、「丘の上に行きましょう」と誘われれば、ああと答えてついて行った。男は少女の要望に応えられることが嬉しくてたまらなかった。少女も男が応えられるような願いしか抱かなかった。

    少女はあるとき訊ねた。「私のことが好き?」男はああと答えた。少女はいつもとは違う要求をした。「それじゃだめ。あなたの言葉で答えて」男は何も言えなくなってしまった。少女は小さくため息をついてこう言った。「『君のことが好きだ』って言うのよ」男は体を震わせてその言葉を発しようとした。しかし緊張してなかなかうまく言えない。「怖がることはないわ。あなたはもう自分の言葉で思いを伝えることができるはずよ」男はそれまでの少女との日々を思い出した。少女と接することでこれまで知りもしなかったことにたくさん触れることができた。男の胸にはもう少女への思いがたくさんつまっていた。あとはそれを外に出すだけだった。

「君のことが」男と少女は目を見合わせた。「好きだ」

    少女の瞳が光でいっぱいに満たされた。少女は男の手をとって駆けだした。男はそのときはじめて声を出して笑った。最初は錆びた機械が軋むような耳障りでぎこちない笑い声だったが、しだいに、楽器のように太くて朗らかな声を出せるようになった。花々は二人に笑いかけるように咲き誇り、小鳥たちは木々の上で祝福するかのように鳴き騒いだ。何もかもが男の目に美しく光り輝いて見えた。目の前で駆ける少女の髪が風にたなびいていた。少女は男の手をとったまま原っぱに勢いよく寝転んだ。男もそれにつられて転んだ。二人は草の上で子猫のように縺れ合って右も左もわからなくなった。草の上で転げまわることに疲れて、笑い声が止むと、二人の目が合った。しばらくそのまま二人は見つめ合っていた。「こういうときにどうしたらいいのかわからないんでしょ」少女が訊ねた。ああと男が答えた。「目を閉じて」そして少女は男に口づけをした。男は目をつぶったままでは何が起きているかわからなかったから、目を開けた。目を開けると少女が焦点が合わないほど近くにいることがわかり、そのときはじめて唇と唇が触れていることを知った。男はあわてて離れた。自分のような醜い人間が、人の唇に唇を重ねてはいけないような気がしたのだった。少女は悲しげな顔をして「嫌だった?」と訊いた。男は首をぶんぶんと横に振って否定した。しかし少女の顔は晴れなかった。男は勇気を振り絞って少女を抱き寄せて、今度は自ら口づけをした。そのとき男ははじめて、他者に受け入れてもらうことの喜びを知った。

「あなたのおうちに行ってもいいかしら」少女は訊ねた。男には断る理由もなく、ああと答えた。そして、少し考えてから自分の言葉で言い直すことにした。「僕の家に来てほしい」

 男と少女は市場で食材を買って家に戻った。少女は初めて来る家に興奮が抑えられないようだった。「素敵なおうちね」ああと男は答えた。これまで自宅を良いものだと思ったことはなかったが、少女に言われると、そのように見えた。

 二人はどこにだしても恥ずかしくないような豪華な晩餐を作り、二人だけでその楽しみに浸った。文句のつけようのない食事だったのは、料理がおいしかったからだけではなく、少女とテーブルを囲んでいるせいもあった。窓の外からでも二人の影が楽しそうに動いているのがわかった。

 寝室にはベッドが一つしかなかった。風呂からあがった二人はまだ湯の温もりが残る体をベッドに持ち込んで抱き合った。男は少女を抱きしめて口づけをするだけで満足し、それ以上のことは何もしなかった。ただ腕の中に少女がいるだけで幸福だった。次第に瞼が重くなり、男は眠りに落ちた。

 翌朝目覚めると少女はいなくなっていた。家のどこを探しても少女はいなかった。男は慌てて家を飛び出した。

 男はあらゆるところを探して回った。しかし、公園にも、丘の上にも、街中にも、市場にも、少女の姿はなかった。男は少女の家を探そうと思ったが、手掛かりが何もなかった。そもそも男は少女の名前すら知らないことに、そのときはじめて気づいた。

 男にできることは何もなかった。悲嘆に打ち震えながら帰路に就いた。腹が減ったからどこか店にでも入ろうと思ったが、慌てて飛び出してきたから手持ちが全くなかった。

 家に帰り、財布を探したが、なぜかどこにも見当たらなかった。これでは食事もできない。仕方なく男はあまり手を付けないようにしている金庫を開けることにした。そこには親の遺した財産があるはずだった。金庫の中は空だった。

 どうだい。少しは楽しんでいただけたかな。無様だな。信じられないくらい無様だな。でももし無様じゃなかったら君は最後まで俺の話を聞かなかっただろう。俺は他人を楽しませることができるみたいだ。そんなことできるようにならなくてもよかったのに。言葉を知らなければ。他者を知らなければ。喜びを知らなければ。こんな風に他人の気を惹こうと躍起になる必要なんてなかった。いつまでも一人で部屋の片隅に佇んでいればよかった。君が楽しんでくれたところで俺には一銭の足しにもならない。でも俺はこれをやり続けてしまうんだ。寂しいから。他人から飽きられてしまうのが怖いから。話し続けなければならない。声がかれても。話すことが思いつかなくなっても。だってもし話すのをやめてしまったら俺は生きていてもそうでなくてもまるっきり同じじゃないか。そんなことがあってたまるか。

 おい、どこ行くんだよ。おい。聞いてるのか。俺の話は終わっちゃいないぞ。おい。待ってくれよ。俺を見放さないでくれよ。頼むよ。助けてくれよ。君だけが頼りなんだよ。おい。おい。頼むから。今度はもっと面白い話をするから。絶対に飽きさせたりしない。絶対に最後まで聞かなきゃ気が済まないような話をする。だからお願いだ。俺を置いて行かないでくれ。