生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

休日について

休日でも、ふと心が塞いでしまうときがある。それは、「今この瞬間は楽しくても、明日は仕事なんだよな」と思ってしまうときだ。そう思ってしまっても、「まあいいや。せっかくの休日だし、楽しもう」とすぐに切り替えられるときはいいが、どつぼにはまってしまうときもある。明日が来るのが怖いと思いながらガタガタ震えて、休日を楽しまずに終えてしまう。

やはりこういった事態は避けたいものだ。どうしよう。たとえば、一生働かなくていいなら、こういう不安は生まれない。でも、そんなことはありえないし、もし実現したとしても、今度は、「毎日やることがない。むしろ仕事したい」なんてことを言いだすのも十分ありえる。

つまり、仕事っていうのは、基本的には「ある」ものなんだという認識が必要である。もちろん何らかの事情があって働けない人もいるし、また、ニートの人もいる。そういう人が間違っているわけでは絶対にない。僕だっていつ精神を失調するかわからないし、ニートになるかわからない。そうしたら、そうした、だ。

ただ、もし自分がニートになったとして、そのことを喜べるかとなると、はなはだ疑問だ。普段、つらいつらいと思っている仕事は、実は精神的な支柱にもなっている。給料も入るし。

仕事という概念をなくすという方向性では、休日にふと訪れる憂鬱の解決にはならなそうだ。となると、一番いいのは「仕事を嫌なことだと思わない」ということだろう。これは、難しいといえば難しいのだが、仕事をやっていくんだったら、「嫌だなあ」と思いながらやるよりは、「やってみるか」と思いながらやるそうがよさそうだ。

今自分でも驚いているが、僕はこういう前向きな考え方というのが大嫌いなはずなのだ。でも仕事とつきあっていくには、こういう考え方も必要になってくるらしい。「日めくり修造」とか、あほな人がやるんだと思ってたけど、前向きに考える方が、いろいろ上手くいくこともあるのだろう。

でも、ほんとにつらくなったら仕事をやめてもいいと思う。病気になったり、死んだりするくらいなら。僕はまだその域に達してないので続けてこうと思っている。

ということを今、休日なのに書いているわけだが、休日の憂鬱には上記以外のパターンがあって、それは休日も終わりかけのころに訪れる「結局何もせずに休日が終わってしまった」という後悔がうみだすものである。

この後悔はだいだい「寝てすごしちゃった」とか、「Twitterのもめごとを追っていたらいつの間に時間がたっていた」とか、「底辺Youtuberの動画みてたら時間がたっていた」とか、「漫然と時間を潰す」ことによって引き起こされる。

今からこれをやろう!というふうに自分の意思をもって遊べば、後悔はない。

今から力の限りだらだらするぞ!ってのもありだし。

とりあえず今から新宿に行こうかな。俺は本屋が好きなんだ。