生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

苦しみ

このブログの前回の更新が去年の8月なのですが(http://metchakaku.hatenablog.com/entry/2016/08/21/140024)、今、ここに書いた「休日の終わりかけに憂鬱になる」という状況にまたしても陥っています。

ある一つの悩みが解消されることなく何度も何度も回帰してくると非常に消耗しますね。

自分は今やっている仕事が気に入らなくて、できれば別の仕事がしたいと思っています。ですが、どのような仕事をしても納得できないのではないかと考えています。

こうやって頼まれてもいないのにブログを綴ったりするところから文章を書くのは好きなのかと思っていました。それで、批評を書いてみようと試みたりもしたのですが、どうも上手くいかなくて、これが何故かというと僕は自分の話がしたいだけだったのです。

批評というのは、基本的に何らかの対象を持ちます。それは文芸とか、音楽とか、美術とか、映画とか、社会とか、多岐にわたりますが、自分語りは批評ではない。

じゃあ自分語りをやっていけばいいのではないか、という考え方もありますが、自分語りで仕事をしていくとなると、相当特殊な<自分>を持っている必要があります。世界中を旅したことがあるとか、裏社会を知っているとか。

でも僕にはそういうものはないので、そんな凡庸な人間の話には需要がない。

このまま僕は「ああいやだなあ」と思いながら一生を終えるのでしょうか。人の一生とはそういうものなのでしょうか。そういうものなのかもしれません。苦しいですね。

苦しみの中で懸命に表現活動を行うアーティストっていると思いますが、できれば誰も苦しまない方がいいなとも思います。

「神様が僕にだけ秘密で教えてくれた呪文

世界中の人が幸せになる代わりに 歌うことなくなるよ

神様が僕にだけ秘密で教えてくれた呪文

世界中の涙が笑顔に変わるがしかし 芸術はくたばるよ」

(呂布カルマ『オーライオーライ』)

でも苦しみがなくなってしまえば、芸術もなくなってしまうのかもしれません。

話を戻しまして、僕はこの先どうやって生きていけばいいのでしょうか。

どうしたら「ああ幸せだなあ」と思うことができるのでしょうか。

今の自分には<現状肯定>と<自己改革の失敗>しかありません。

この二つの繰り返しにもう飽き飽きしています。でもこれ以外に何もないような気もします。

何だか考えることに疲れてきました。この文章も、書くことによって何かを見出すことができればと思って書いたのですが、何のヒントも出てきません。

セックス・ピストルズジョニー・ロットンは"No future"と歌っていました。そこにはポジティブなものを感じます。

歴史は堆積することによって腐敗していきます。たとえば、ある一つのスタイルが市民権を得ると、そのスタイルを真似するものがたくさん現れます。そして真似が蔓延すると飽き飽きしてきます。

ロックの歴史が飽き飽きしたものになってきたときにセックス・ピストルズが現れたという雑な理解を僕はしています。僕もいま、「もううんざりだ」という気持ちです。そういう思いがあるということは一つの可能性でもあるような気がします。

誰もやったことのないようなことをすることは可能でしょうか。

まだ自分には覚悟が足りません。

何をやっても無駄という気持ちがあります。

とても苦しいです。でも誰も答えを与えてはくれません。自分で解決するしかない。

もはやどんな表現活動をしても、それは金に繋がりはしない。

何十年も一つのことに取り組んでいれば、そのうちに金になるようになるかもしれませんが。

とにかく何かを<好き>と思う気持ちは大事だと思います。

なるべく<好き>を増やして、生活を豊かなものにしたいですね。

今は「ヤなことそっとミュート」というアイドルグループの楽曲を聴いていて、これがとても良いです。

あと、最近小説が読めなくなってしまったので、詩や短歌が気になります。小笠原鳥類とか。