生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

サボり①

「何を考えているんだ」と言われることがしばしばあったが、何か考えて行動しているわけでもなかった。
高校の体育の授業中、たまたま手元にバスケットボールが回ってくると僕は立ち尽くしてしまった。誰にこのボールを渡せばいいのかわからなかった。教師がピッと笛を吹いてボールは敵のものになる。膝下まであるかっこいいズボンを履いた味方チームの奴に怒鳴られる。「何考えてんだよ」でも僕は、何か考えてそうしたわけではなく、何も考えてないからこうなってしまうわけなので、答えられないのだ。
体育倉庫のマットの上に寝転がって天井を眺めた。別に平気だったわけではない。本当はみんなに混じってバスケをするのが一番いいのだろうということくらいはわかっていた。同級生に怒鳴られるのが嫌だった。
体育教師が入ってきて低い声を出す。「何をしているんだ」「休んでいます」「休んでますじゃねぇだろ、授業に参加しろ」「嫌です」「嫌ならサボってもいいのか」「はい」「はいじゃねぇだろ、みんなが真面目に授業を受けてる中、一人だけサボっててなんとも思わないのか」「申し訳ないです」「だったら参加しろよ」「嫌です」「嫌なことがあったら逃げて生きていくのか」「そうだと思います」事実、そうなった。
大学受験を控えた12月、僕は勉強をしていなかった。終業のチャイムが鳴るとすぐに学校を出て本屋やブックオフに行った。350円の漫画が105円の棚に格落ちしてないかを確認するのが日課だった。そんなことに一所懸命になっている生徒はあまり多くはなかった。不思議なことに運動部のチャラチャラしているようにみえる人々も、受験期になると真面目に勉強を初めて、めきめき成績を伸ばしていった。運動ができなくてかっこ悪いオタクみたいなのは、だからといって勉強ができるわけでもなかった。僕もその枠だった。僕はチャラチャラしていた人々がくだらない語呂合わせを使って世界史の年号を暗記したりしているのは滑稽だと思った。表面だけチャラチャラしていただけで、結局真面目なのかと心底がっかりした。かといって汚いにきび面で「同人ゲームを制作して一山当ててやる」と息巻いている脂ぎったオタクにも共感できなかった。身の回りの人間は全員嫌だった。
買って帰ってきた漫画を家に帰って読みながらいつの間にか眠りに落ちていた。母親に尻を殴られて目が覚めた。「あんた何してるの」「寝てました」
母親が僕の髪を掴んで上に引っ張りあげた。「あんた何考えてるの!」僕は特に何も考えてないのだ。「大学行く気あるの!」「あります」働くのは嫌だった。「あんたさ、自分の模試の結果わかってるの!」「はい」第5志望ですらE判定だ。「そんなんじゃどこの大学にも行けないよ!」そんなことはない。相当レベルの低い大学なら定員割れしているようなところもあるだろうし。
「お母さん、自分が一生懸命育てた息子がね、なんにも頑張ろうとしないのを見てるとね、お母さん、悲しいよ」そういって母親は泣き出してしまった。僕も悲しかった。できれば母親を悲しませたくはなかった。でもこれは仕方のないことだった。そのように生まれついてしまったのだ。僕だって好きで僕をやっているわけではないのだ。