生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

ラップにとって「やる」とは何か。

企業のCMでも何かとラッパーが起用されがちな今、ラップブームが起きていると言っても異論の声は……まあ多数上がるだろうが、とりあえずラップブームとします。

しかし、「ロック等のポップミュージックは好んで聴くが、ラップは受け入れがたい」という声を耳にする機会はいまだに少なくない。
ロックバンド『ASIAN KUNG-FU GENERATION』(以後「アジカン」)の後藤正文主催の新人賞「Apple Vinegar Award」は、結果的にラッパーであるJJJの受賞ということで落ち着いたが、そのことでラップの立場が向上したとは言い難い。選考の結果よりも選考過程に大きな意義がある。その模様の書き起こしが特設サイトにて公開されている(http://www.applevinegaraward.com/2018/j001/)。

選考委員日高央の興味深い発言を引こう。

日高「ヒップホップを選んじゃうと、バンドがかわいそうっていうのも、あるっちゃある。」

それは逆もまた然りだろうと言いたくなるが、別に筆者はこの発言にいちゃもんをつけたいわけではなく、というか本稿にはあらゆる意味で批判の意図はない。とにかくここから読み取りたいのは「ロックバンドとヒップホップを別の枠組みで聴くリスナー」の存在である。

引用までした割には、あまり効果的に本題に繋げられそうにない。というのも日高央はラップを受け入れがたくは思っていない、むしろ筆者などよりずっと熱心なリスナーである可能性も高いからだ。そこで、軌道修正するが、もっとざっくり「ラップ、あまり好きじゃない」という、(アーティストではないという意味で)一般の人々が「何に引っかかっている」のかということの仮説を提示したい。

私事で恐縮だが、筆者はそれこそアジカン等の邦ロックバンドを主に10代の頃好んで聴いており、ラップには興味がなかった。
邦ロックのリスナーにはありがちなことだが、多くのロックミュージシャンがリスペクトを捧げるTHA BLUE HERBを聴き、ラップの魅力の一端に触れた。それでもラップという文化に夢中になるというほどではなかった。

当時、筆者が抱いたのは「この『ILL-BOSSTINO』という人はなんで自慢ばかりするんだろう?何と戦っているんだろう?」ということだった。ラップという歌唱法には魅力を感じていたが、歌われる内容については、少々鼻白む思いだった。「セルフボースト」という概念を知るのは大分後のことである。

さて、やっと本題に入る。ラッパーはよく「やる」や「かます」ということをラップする。「やるだけ」「かますだけ」という使われ方も多い。
しかしここで疑問なのは、いったい何を「やる」のか、何を「かます」のかということだ。

それはもちろん「ラップ」をやるのであり、「ラップ」をかますのだ、というのがとりあえずの正解と言えるだろう。
しかし、ややこしい言い方になるが、「ラップ」をしている時点で「ラップをやる」、「ラップをかます」ということは達成されているのであり、わざわざラップの歌詞の中で「やる」「かます」等と宣言する必要はないのではないか。

また、「やる」「かます」の派生として、「ペンを走らせる」等もある。当たり前だが、ノートにペンで歌詞を書きつける行為を指しているが、これもわざわざ歌う必要はあるだろうか?なぜならラップを聴いている瞬間、リスナーの耳に入るのはすでにペンによって書きつけられた歌詞なのであり、その歌詞がどのように生み出されたかということに再度触れるのは、たとえば、「これはパソコンのキーボードを打って書かれた文章です」と書かれた文章を読むことに等しいからだ。

ラップを聴くようになった当初はこういった点が気になってしまい、そのような文化にあまり馴染めなかった。しかし、次第にラップに惹かれていく中でこれらの疑問は一旦棚に置いてしまった。
ラップを受け入れがたく思う人々の中にはこの点が引っかかっているという者もいるのではなかろうか。なお、現在の筆者は「耳に気持ちよい音の連なりであれば、やたらと『やる』とか『かます』とかいったことばかりラップしていても気にしない」という立場をとっている。

余談だが、だからといって邦ロックの歌詞に疑問を抱いていないわけでは全くない。筆者が熱心に邦ロックを聴いていた時期、やたらと耳にしたフレーズに「風景」といったものがある。「風景」は往々にして「霞んで」いき、「消えて」いく。少しでも批評性のあるロックバンドなら、なんのてらいもなくこれらを歌詞に採用することに羞恥心を覚えてほしいと思うが、それはさておきこの潮流は、ナンバーガール、そのフォロワーとしてのアジカン、さらにそのフォロワーの数々という風に脈々と受け継がれている。

当たり前だが、ロックバンドもラッパーも先行者に倣う形で、表現を行う。それが単なる真似事の域を超えていないとき、「やる」「かます」、または「風景」といったフレーズが、疑念を生じさせるのかもしれない。

この「やる」「かます」問題についての答えは出ていないが、このことと、「成功したラッパー、歌うことない問題」は大きく関係しているのではないかと考えている。
そして、この「やる」「かます」問題になんらかの答えを出すことができれば、ラップが受け入れがたいという人々へ、ラップの楽しみ方をもっとちゃんと伝えられるような気がする。