生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

 Yと連絡が取れなくなった。考え得る連絡先は全てあたった。一度だけ彼の家に行ったことがあったから、直接訪問しようと思った。

 寒かった。一度コートを羽織って外に出たが、北風を防ぐことはできそうになかった。見栄えは悪いが防寒性に富んだダウンに着替え、駅に向かった。

 Yはどんな人間か?彼には主体性というものがなかった。いつも周りを見回して、どういった振る舞いをすることが「常識的」であるのかを測らずには、何もできない男だった。いや、こういう人物の分析の仕方は公平性に欠ける。現に、共通の知人であるBは「優しくて少し恥ずかしがりやなところがあるけど、ちゃんと自分の考えをもっている」と評していた。Yに僕がどんな人間か訊いてみるといい。「いつも周りを見回して、どういった振る舞いをすることが『常識的』であるのかを測らずには、何もできない男」だと彼は答えるだろう。そういうことだ。

 Yのことなど忘れてしまってもいいのにと思う。どんなコミュニティーに属していようが、疎外感と無縁ではいられないのがYだった。それは僕にしてもそうだ。だから余りもの同士でペアを組んだような仲がわれわれの関係といってもいいかもしれない。しかしこういった「つまはじき者のエレジー」に陶酔するのはやめよう。それに、彼を自分と同じサイドの人間としてカウントすることは、やはり失礼に当たる。今頃、僕の知らない気の合う仲間たちと楽しくやっているのかもしれない。彼と会えなくて寂しい思いをしているのは僕だけなのか。

 日中のデパートに用のある二十代の若者などそう多くはないだろう。女児向けのアーケードゲームに勤しむ者は別だろうが。もっともこのデパートで、女児向けアーケードゲームに女児以外が居座っているさまを目にしたことはない。地方都市までわざわざ遠征する数寄者もいないということか。この街には行くところがないから、こういうところについ脚を運んでしまう。今日は暇を持て余して立ち寄ったわけではなく、腹を下しているから清潔な便所が必要だった。

 用を足してデパートを出ると、寒風が、鼻をもぎとらんばかりに顔を撫ではらう。目に入るのは飲食店ばかりだ。お好み焼き屋、ラーメン屋、日高屋、魚民、ネパール料理屋、カラオケパブ。自宅付近の飲食店にわざわざ行く意味はない。高架下では小汚い恰好をした、なにで身を立てているのかわからない二人の老人がワンカップと煙草を楽しんでいる。その隣でアジア系の若者が煙草を吸いながらハンズフリーで電話をしている。何事かをまくしたてているようだが、実際は母国のイントネーションにより激しい口調に聴こえているだけかもしれない。

 駅付近の汚い路地を歩いていると、ふと、大きな樽が目に入った。自分の身の丈ほどもある巨大な樽だった。その脇には黒いボードが置いてあった。白いペンで文字が書いてある。

 

  愛はきっと奪うでも奪われるでもなくて気がつけばそこにあるもの♪

 

 ミスチルの歌詞だった。

Yに会いに行くのは明日でもいいかという気持ちになった。

樽を避けて地下への階段を下りて重い扉を開けると、そこは瀟洒なバーのようなところだった。ワイン色の壁に囲まれた空間で、各テーブルに置かれた蝋燭の火と、ジャズの音色を堪能する一人の客の体が揺れていた。他の客も概ね一人で来た男だった。外の寒さと、独り身の男の避けがたい孤独から逃れるため、こうして温かい空間で身を寄せ合っているのだろうか。

僕の来店に気づいた給仕がつかつかと歩み寄ってくる。ベストを着て、蝶ネクタイをつけ、丸い眼鏡をかけたオールドスクールなウェイターだ。人懐っこそうな笑みを浮かべている。

「こんばんは。ご来店は、はじめてでいらっしゃいますか?」

「はい」

「当店会員制となってまして、こちらに簡単にご記入いただきますと、カードを発行いたします。会員の方は、御飲食がすべて半額となります。チャージ料金等も一切かからなくなりますので、ぜひご入会いただければと思うのですが」

「わかりました」

「ありがとうございます。お先にお席までご案内いたします」

名前住所電話番号メールアドレス等を記入し、「店内での客同士のトラブルに当店は一切責任を負わない」といった注意事項にチェックを入れると、つまみにしては、そこそこ量のあるナッツと、なにかよくわからない黄色いカクテルのようなものが運ばれてきた。

「こちらご入会いただきましたので、サービスでございます」

カクテルは甘くてほのかに桃のような香りがした。おいしい。

 腹は減っていなかったのでチーズを頼むと、待っている間、特にやることはなく、しかし酔いが回ってきて心地よかった。

 突然、店内の明かりが落ちた。音楽も鳴りやんだ。客席の中央部にぽっかりと空いたスペースが、ライトアップされた。いままで気づかなかったが、店の奥にスクリーンがある。

 スクリーンには、宇宙空間をメラメラと燃えた隕石が縦横無尽に飛び交うイメージが映された。それらが飛び交う轟音を表現したエフェクトがスピーカーから鳴り響く。隕石の飛翔がおさまると、石板のようなものが宇宙空間に叩きつけられ、そこに焼印が押された。石板に刻印された文字はこう読み取れた。Fight Time。

 店内の両端で二人の男が立ち上がった。中央部にゆっくりと歩きながら衣服を脱ぎ棄てていく。着やせしていたのか、両者ともに筋骨隆々の肉体があらわになり、照明を反射して艶めく。

 向かって右側の男は長髪を後ろで結び、口元に髭を蓄えている。おそらく30代半ばだが、整った顔立ちで、首だけ異様に太く見える。左側の男は、丸坊主で、お世辞にも美男子とは言い難く、生まれつきなのか潰されたのかわからない低い鼻だ。年齢不詳。両方の肩から腕にかけてトライバルのタトゥーが入っている。二人とも、これから行われることを我慢できないといった喜びの表情を浮かべている。

 非常時を告げるかのようなブザー音が店内に響いた。

 両者ともにジャブを打つでもなく睨みあっている。グローブをつけているわけでもないし、身のこなしも街の不良の域を超えるものではない。ほんの冗談のつもりなのかと思いかけたそのとき、長髪が右ストレートを打った。と思ったら彼は床に膝をついていた。カウンターでボディーに左フックが入ったようだ。丸坊主は、ダウンした長髪の髪を掴み、顔を上げさせると、殴り始めた。何度も何度も、血液や歯が木の床に散らばるまで殴り続けた。にっこりとほほ笑んだ給仕が、丸坊主の肩をトントンと叩くと、彼はにやりと笑ってから、動かなくなった長髪を床に放った。

 再びブザーがなり、ユーチューバ―がよく使っているフリー音源のような歓声がスピーカーから再生された。やや間があってからドラムロールが鳴りはじめ、スポットライトが店内を交錯した。まさか自分が照らされることもあり得るのだろうか。冷たい汗を背中に感じながら、固唾をのんでいると、幸いにも別の客が照らされた。僕はいますぐ帰ろうと思った。にやにやしながら立ち上がって服を脱いでいる次の挑戦者を横目に、給仕の方へ駆けつけると、「あの、お釣りいらないんで」と行って、念のため一万円を押しつけた。給仕は「お気をつけてお帰り下さい」とビジネスライクに告げると、ベストのポケットに万札を乱暴にねじこみ、試合の観戦に戻った。僕の方は一瞥もしなかった。

 店を出ると、全身の汗が風に吹きつけられて凍えそうになった。いつも通りの汚くて灰色の街がそこにあった。僕は小走りで路地を駆けていった。