生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

2022.08.12

・リヒター展行った。ちょっと人が多すぎた。絵画って、一人で観れるならいいけど、他にも観たい人がいる中で、絵の前にどれくらい滞在していいものかわからない。

・リヒター展、とにかく写真を撮っている人が多すぎて、「意味ある?」と言いたくなった。特にああいう抽象画って全体像を、小さいスマホの画面でみても、筆致とか全くわからない。「リヒターの絵」ということしかわからない。図録を買って家で見たほうがいいのでは?と思った。あと、写真を撮りたい人に、気を使わないのも角が立つので、なるべく映り込まないように待ってあげたりするのがだるかった。

・油絵具を塗って削ってを繰り返して、ガビガビになってるのを目で追っていくのが楽しくはあった。しかしそれはまた潜水しているようでもあり、息が苦しくなった。向いてないなあと思いつつ、そそくさと帰路についた。

・話は変わるが、ラッパーのライブを撮影するのは、世相的にも、個人的にも、アリなのだが、それはなぜかというと、ラップを軽薄なものとして捉えているからだと思う。前にブルーハーブのライブを見たとき「撮らなくていいよ」と客に注意をしていたが、それは、BOSSが自分のステージを芸術と規定しているからであろう。僕はラップにそういうものを求めてはいない気がする。バーカンで仲間と喋ったりして全然ラップなんか見てもいない奴がいてこそ、クラブだと思う。まあ、おれはクラブで誰かと喋ったりはしないが……。

・勉強について思ったこと。自分には選挙権があるし、政治への関心はあった方がいいと思うのだが、けっこう雰囲気で投票している。政治を考えるときに、いろんな観点からの思考ができる。国際社会、他文化共生、差別問題、格差、子育て、介護、福祉、環境、資源、エネルギー、災害対策……いろんなイシューがある。それら全てに専門性がある。その全部を学ぶことなんてできない。

・あるジャンルの専門家が別のジャンルについてテキトー極まりないことを言っていたりする。専門家って言うんだから、名門大学を出て、院も出ているような人が、そうなってしまう。自分はなんでも知っているという意識がそうさせてしまうのだろう。

・いや、こんなふうに誰かを糾弾したいのではなく、おれが言いたいのは、おれはもうなんの専門家にもなれないし、一般的な教養すらないまま死んでいくんじゃん!ということだ。

・おれがドゥルーズを読んで、だからなんなのだろうか。おれが反緊縮についてきちんと語れるように、マクロ経済の本を読んでみようとか思うことに意味ってあるんだろうか。まあ、なくはないが、もうすでに、より雄弁に語れる人がいるんだから、その人にこの社会を託したい、とか思ってしまう。おれになんの影響力もないわけだし。

・「おれはだめだ」って吐露するのは甘えだ。でも社会というのは自分以外の人間が回していて、おれがいるのはその外側という感じがする。みんなが存在しているのが「メイン社会」で、おれは「サブ社会」を生きている。I don't belong here.

・こんなことを言っていても、人生は続く。まああらゆるジャンルにおいて「アマチュア」でええやん、という姿勢でいこう。自分が優秀でないことを自明なものとして悲観しないことだ。本も、読みたいときに読んで、読みたくないときは読みません。