生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

2022.09.28

・休みだが、特になにかしたわけでもなく、なにかを「したい」とも思わなかった。食料を買いに行ったくらい。

アーレントの言う<労働>だけではなく、<仕事>をやる必要があるのだが、<仕事>にも身が入らない。本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たりして、それを「楽しむ」。そして、その体験を言語化する。これがいまのところ僕が掲げている<仕事>であるわけだが、どのジャンルにしたって半端者であることを思い知らされると萎えてしまう。だって家にレコードプレイヤーもCDプレイヤーもなくて、サブスクでしか音楽を聴かない人になにが語れましょうか?年間に10回も劇場で映画を観ない人間になにが語れましょうか?

・まあとはいえ、それで食っていくつもりもないのだから、好き勝手やらしてもらっていい気はする。しかし、ほんとになにをしていても「そんなことしてなんになる……?」と思ってしまう。

・『社会はなぜ左と右にわかれるのか』を読み進めているが、これはすごい。<象>と<乗り手>もめちゃすごい概念だったが、今度は道徳を味覚のアナロジーで捉え直している。つまり、物事に対して、道徳的に「よい」という判断は一元的なものではない。「おいしい」という判断が、「甘い」「辛い」「しょっぱい」など、複合的な観点からなされているように、道徳的に「よい」とは「ケア」「公正」「忠誠」「権威」「神聖」の5つから判断されている(後述するが、最終的に6つになる)。そして、リベラルは「ケア」「公正」を重視するあまり、他の基盤に訴えかけることを欠いているというのだ。

・考えてみれば、リベラルな人だって、仲間を大切にしたり、先祖を敬ったりする気持ちはあるわけだ。その気持ちは無視して、外部の人間や、弱い人間に肩入れすることを強調すると、右派からの支持は得られない(強い言い方になっていて申し訳ないが、僕自身もそういった現状を歯痒く思っている)。

・さらに読み進めると、右派と左派で「公正」の捉え方が違うとわかってくる。左派のいう「公正」が「持たざる者にもやさしくね」というものだとすると、右派のいう「公正」は「努力した者が報われるべき」というものである。これはどちらも間違ってはいない。右派の方が「働かざる者食うべからず」イズムが強く、それを無視して弱者支援を強調すると、大衆からの支持が得られない。みんながみんな利他の精神をもってるわけじゃないよな。おれだっておれの身が大事だし。

・また、第6の基盤「自由」というものが出てくる。アメリカで中小企業経営者が共和党を支持するのは、政府に市場をコントロールされたくないという発想からである。堀江貴文が右なのも、小さい政府を理想とするリバタリアンだからなんでしょう。

・リベラルはもっと右派の気持ちを考えた方がいいんだな、と思った。しかし、右派が「忠誠」「権威」「神聖」といった基盤に訴えかけるのが上手いからといって、それがこれからも正しいわけではないよなとも思う。つまり、現状、人々はリーダーを支持し、部外者や不潔なものに忌避感を覚え、内輪で固まることを好む傾向にあるわけだが、だからといって秩序から外れたり、貧困ゆえに清潔な環境とは程遠くなっている人々を見捨てていいわけではない。

・しかし、また話は戻るが、弱者の救済を第一のイシューとして掲げても、大衆の支持は得られない。ここからは僕の勘だが、弱者の救済については、マニフェストの後ろの方においておく、という戦略的なやり方が有効なのでは……?

・たぶん読み進めれば、リベラルの勝ち方についても書いてあると思うので、引き続き読んでいきたい。