生きたまま埋めるのはかわいそうだよ

シュールな世界観がいいね~って棒読みで言って

羽目の外し方③

鬱野というのは本名ではないだろう。わからない。全国にはそういう名前の人もいるかもしれない。どうでもいいか。彼のことはTwitter上でしかしらない。私は、世の大体のことはTwitter上でしかしらない。鬱野は三島由紀夫寺山修司が好きで、はっぴいえんどやジミヘンが好きで、水木しげるの漫画が好きで、漫画を描いたりバンドをやったりしているようだった。Twitterにも漫画を載せていて、社会にうまく馴染めないことの苦しみをおもしろおかしく描いたりしていた。だが私は、彼の漫画における「社会に馴染めない描写」は、ある程度「キャラ」つまりは演じられたものでしかないと予想している。服用している薬についてや、自分がいかに「社会不適合者」(鬱野はこの言葉を好んで用いた)であるかを語るとき、その口ぶりがどうにも嬉しそうに見えてならなかったからだ。もちろん、たとえ演技だとしても、本人自身それに気づいていない可能性もあるし、揶揄できるようなことでもないのだが。面白そうな人ではあるが、いまいち信用できなくはあった。

Twitterでのフォロワーは私の5倍以上はあり、先述の漫画がしばしばバズって(広く拡散されて)いる。バンド活動を通じて界隈では有名なアーティストととのつながりもあるらしく、つまりなにが言いたいかと言うと、私としては、Twitter上でのふるまいが少しダサいのではと思っている人なのだが、世間からの認知度や評判は私などよりはるかに高いということで、ややいけすかない存在であった。しかし私は私のルサンチマンをこのように正確に認識し、私自身を相対化することができたので、鬱野が私の「上」にいる存在だと認めようじゃないか。「どうぞ『上座』にお座りください」と自ら席を譲ることで、私自身の度量の広さを示せるというものだ。

こんなことばかり言っていてもどうにもならない。話を先に進めよう。

連絡が来たのは17時くらいだったが、あまり早く店に行って暇だと思われるのも癪だったので、19時に西荻窪に着いたのち1時間半ほどマクドナルドで読書をし、向かった。

酔客のガヤガヤとうるさい裏路地を進み、何度も行ったり来たり店名を人に訊ねたりしてようやく、「きりぎりすはこちら」という看板を見つけた。矢印の先は地下へと向かう階段だった。階段は薄暗く物音一つしなかった。

重い木の扉を開けると、橙色の弱く柔らかな光に包まれた。明るくはなかったが、人の顔を判別できる程度ではあった。客は1人いて、店の広さ的にまだ余裕はあったが、10人も入ったら寿司詰だろう。こじんまりとした年季の入った店だった。客は店員と談笑しており、おそらく彼が鬱野だ。長髪を後ろで一本に束ねている。しかし前髪はある。このタイプの髪の括り方をなんというのかしらない。予想より細身で背が高い。くたびれたTシャツから細すぎる腕が覗いている。肉を食い尽くされたフライドチキンの骨みたいだ。目線を上げたときに私の存在に気づいた。

「ああー!どうもどうも」と鬱野は目を丸くし大袈裟に身をのけぞってみせた。「すみません突然急に、ずっと会いたかったんですよ」

「いえいえ、こちらこそ。声かけていただいて」

ネット上での陰鬱さが嘘のように、空々しいほど爽やかな挨拶が始まった。もちろん私には招待されて嬉しいという気持ちが確かにあった。しかし鬱野はどうなのか。「ずっと会いたかった」はさすがに盛りすぎだろう。

鬱野は既にいた客の方を見て私を紹介した。「鬱野がTwitterで知り合った人」という情報以上のものはなにも提示されなかった。それはそうだ。私だって私を紹介する言葉など持っていない。無職であることくらいか。客は、客というか、鬱野の後輩だという。大学で同じバンドサークルに入っていたそうだ。後輩は眼鏡をかけており、どちらかと言えば尖っているタイプの鬱野と比べて、身も心も丸く穏やかなように見えた。

鬱野がなににするか訊いてきたが、特になにを飲みたいというわけでもなかったので、ビールを頼んだ。鬱野は、全身に脱力感が漲っている人だった。語義矛盾のようだが、そうとしか表現できない。棚からグラスを手に取る所作など、一つ一つが「慣れた手付き」で「軽々と」行われていますよ、という主張をしているように見えた。最もそれは私の意地悪すぎる目線の産物かもしれないが。